真実の「言葉」とは?
誰かが言っていました。
本当に必要な言葉、真実の言葉っていうのは、言われたときに意味がわからなくても、何十年かたって、ふとした弾みで思い出して
「あっ。あの言葉はそういう意味だったのか」
というような言葉だと...。私事ですが、個人的にもそんな経験があります。
中学生のとき
「募金をするときは、こんな金額は自分にとって痛いというお金を自分の財布から出しなさい」と担任の先生から教えられました。中学生のころは「そんなもんかな~」ぐらいにしか思えませんでした。
ところが、大人になって、初めてその意味がわかりました。
自分が社長となり、収入がある以前に「投資」をしなければならないとき、「できない」のです。
いつの間にか「器」(うつわ)の小さな経営者となってしまうのです。
「自分にとって、痛い金額」
それがその人にとっての器の大きさを表しているような気がします。
それが、募金などのように「自由になるお金」のときに自然と現れてしまう、ということですね。
器の大きな経営者になりたいものです!
以下は余談。
私は以前、街頭で、ボランティアの募金活動をしたことがありますが、
このときに驚いたことがあります。
※その募金は、困っている子ども達に教育資金を援助する組織のための募金でした。
募金する人は、服装や身なり、年齢など外見はまったく当てにならないのです!
立派なスーツを着ていても、してくれない人はまったくしてくれません。
身なりは、いいかげんでも、「困った人のために」という気持のある人は
ジャージを着ている、高校生、大学生でも財布から、1000円札を取り出し、入れてくれたのです。
学生にとって、1000円というのは、本当に大金だと思います。
本当に嬉しかったです。
人は、外見ではない――
ということがよく、分かる募金活動でした。
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