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京都のええとこ教えます

平安京のスーパースターここに眠る「晴明神社」

2015/05/25
 今回は、ライティング事務所から程近い堀川今出川にある、晴明神社をご紹介します!

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 おそらく京都市民なら、一度は見たことがあるであろう門。歩いている人も気軽に入りやすい雰囲気です。この星のマークは「五芒星」、「晴明桔梗」と呼ばれ、晴明が作った陰陽道のお札です。

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 門を入ってすぐに、「一条戻り橋」のレプリカ。一応本物が、神社のすぐ近くに架かっています。この橋を渡れば、なんとあの世とこの世を行き来できたそうです!

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 そして橋のそばに、晴明の式神(陰陽師が使う精霊)。晴明の奥さんが式神を怖がっていたらしく、橋の下に封じ込めていたらしいです...かわいそうに 笑

 そもそもみなさん、陰陽師って何か、ご存知ですか?
 時は飛鳥時代。陰陽師とは、古代中国の「陰陽五行思想」に基づいて、天候や暦の吉日を占う、朝廷の役職のひとつでした。あの聖徳太子も、百済の渡来人からこの思想を学び、冠位十二階や十七条憲法にもその影響があらわれていました。天文観測、暦の吉兆を理論的に分析して、遷都などの際に役立つ技術職だったそうです。

 ところが、西暦838年に遣唐使が廃止されてからは、優秀な渡来人を招待しづらくなり、徐々に人材が乏しくなって、職にあぶれた公家のお情け業務になってしまっていました 笑
私たちが持っている、魔法使いじみたイメージとは異なりますね。
 
 もはや大学でいう、とりあえず入ったら卒業されてくれる、やる気のないゼミのような。すごく微妙な扱いの「陰陽師」だったのですが...!

 有名な早良親王の怨念によって、長岡京は災いが相次ぎ、時の帝桓武天皇は、都を平安京に遷都。平安時代のはじまりですね。その際に、怨霊から都を守るために、陰陽五行思想がおおいに活用されました。それを発端として、朝廷から怨霊などの御霊信仰、陰陽師ブームが到来するわけです!
さらに藤原鎌足が、密教的な呪禁道と陰陽寮(陰陽師たちの住むところ)を統合してから陰陽師は、私たちのイメージに近い、もはやオカルト。呪術を駆使する、平安時代のカリスマへと変化していきました。
 
 そしてブームの中、満を持して現れたのが天才陰陽師「安部晴明」というわけです。
 西暦920年に生まれ、幼いころから多くの道に秀で、特に天文暦学を深く極め、成人してからは朝廷で天文陰陽博士として活躍。神道を思いのままに操る術を身につけ、朝廷をはじめ多くの人々の信望を寄せられたと伝えられます。

 なんと、今日、私たちの日常生活の基準となる年中行事や、暦なども晴明がつくったものだそうです!そして6代の天皇達の側近として仕え続けた晴明は、西暦1005年に85歳で亡くなりました。

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 そして現在まで晴明御霊神として祀られ、世の中の尊敬を集められています。

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 あまりにも晴明の残した実績が人間離れしていたせいか、お稲荷さまの生まれ変わりという説まであり、稲荷信仰とセットになっているようですね。

 ここぞとばかりに陰陽師グッズやお土産コーナーもありますので、観光名所としても機能します。
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 今回晴明神社、陰陽師についてみなさんも詳しくなられたことと思いますが(笑)みなさんは陰陽師に興味が湧かれましたか?
 私は、昔から日本人は根っからの占い好きなんだなと思いました。笑 確かに、未来がわかっていれば便利なことこの上ないですよね!

 占いは日本人、いや人間の昔からのロマンなのです。今は科学でほぼ全てのことが説明できる世の中ですが、今で言う科学が昔の陰陽道だったのであり、そういった社会というのも何が起こるかわからなくて魅力的だと思います。 
 みなさんもぜひ、晴明神社に、ユニークな陰陽師の世界を学びにいってみませんか?

住所:京都市上京区晴明町806 
参拝時間: 9:00~18:00
定休日:無休
電話番号:075-441-6460





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