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京都のええとこ教えます

紅葉+お茶=光悦寺

2014/11/24
イチョウの葉が色づき、秋が深まってきましたね。今回ご紹介するのは、京都の雑誌で特に紅葉が美しいと評判の光悦寺!自転車で行ってきました。
ライティングの事務所からほど近い、鷹峯という丘陵地帯にあり、私も名前だけは知っていたのですが、ここらは坂がきついところで、敬遠してたので初お目見えです。笑

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噂に違わぬ美しさです...
光悦寺は、1615年に刀剣職人の本阿弥光悦が、天下人となった家康公に鷹峯の土地を与えられ、そこに家族や種々の工芸に携わる職人たちを集めてできた集落がはじまりで、光悦の周りに法華宗信者が多かったため、死後寺となったそうです。
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趣のある茶席が点在します。11月、ちょうどこの時期に光悦会という茶会があるみたいです。
「さっき光悦は刀剣職人って言ったのに、なぜお茶と関係あるの?」と思った方!
本阿弥光悦は刀の鑑定、研磨といった元々の家業だけでなく、漆工芸や書道、茶道や能楽にまで才能を発揮。特に書道では、「寛永の三筆」とまで呼ばれた、まさに万能の天才、日本のレオナルドダヴィンチだったのです!
もはや光悦が自身の息子に宛てた普通の手紙が、文字が美しすぎて専門家の間で芸術作品扱いされてるとか。

しかし!
この万能の天才に家康公が与えた土地「鷹峯」は、当時辻斬りや追いはぎが多発する、とても物騒なところでした。
日本の文化の先駆者に対して、ひどい仕打ちだと思いませんか?これには、光悦が王朝文化を尊重していた、本阿弥家の先祖が貴族なためか、朝廷とも深いつながりがあったことなどから、いわゆる左遷目的という説があります。
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他にも家康は、京都の重要パワースポットである神泉苑を大幅縮小してお城を建てたりと、徹底的に朝廷の力を弱めようとしていました。恐るべし家康公...

京都人からすれば恐るべしな家康公ですが、彼が戦乱の世に終止符をうち、日本に平和を訪れさせたことによって、光悦にも芸術に打ち込む余裕が生まれた、ともとれます。

ここまでほとんどお寺の話ができてないですね。
というのも、光悦寺は7つの茶席や本阿弥一族の墓、お堂で構成される非常にシンプルなつくりで、紅葉しか記憶に残らなかったのです。笑
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では、光悦は後世になにを伝えたかったのでしょうか?
私は、目立つものはなくても、戦がなく、平和に紅葉を見ながら茶をすする平穏のありがたさを知ってほしかったのでは、と思います。

家康のくだりにしてもそうですが、起こった物事を良い、悪いととらえるのは結局その人次第。物事をふかーく吟味するのが好きな方は、光悦寺へレッツゴーです!

住所:京都市北区鷹峯光悦町29
拝観時間:8:00〜17:00
電話番号:075−491−1305
定休日:11月10日〜11月13日




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