ゴーストライターによる文章作成代行【京都・ライティング株式会社】

SOHO・自営業者のための鉄の掟

映画『ゴールデンスランバー』を見て

2010/01/31

b159050609bf6ea4.jpg漫才コンビ大木こだま・ひびきの声が聞こえてきそうな映画である。
「そんなやつ、おれへんやろ~」

 

殺人犯にしたてあげられた無実の男が
家族や友人の協力を得て、どこまでも、逃げ続けるというストーリー。

 

前週にみた「のだめ・カンタービレ」で予告編をみてしまって、
見に行きてしまったのであるが、いい意味で、そのときの予告編には裏切られる...。
予告編をみていると、ハリウッド的な暴力とか陰謀とか、ノンストップアクションを想像させるから。

 

でも、ストーリーには直接ふれずに、中味をいってしまうと、
江戸でお上の圧政に庶民が知恵をしぼってたちむかう時代小説的なもの、それに、サザエさんやドラえもんといった、「ほんわか」家族的なものに通じる、小気味良さがある。

 

小気味よさ...

 

そう。

 

この映画は、見終わって、小気味がいいんです。
そこで、一生懸命、この映画のどこが小気味がいいのか、
私なりに、考えてみた。

 

※余談ですけど、伊坂幸太郎や東野圭吾は、ほかの人の作品を見たとき、「どこに感動したのか」「なぜ心を揺り動かされたのか」をトコトン追求していくことで、成り立っている作家だそうですね。

 

たしかにこの映画には、冒頭の漫才コンビのツッコミのような、実際にはいないキャラをもった登場人物ばかりが登場します。
たとえば、主人公のお父さん。
このお父さんがとる行動というのは、戦時中に召集令状がきて、「息子よ。こんなもの気にするな。逃げてしまえ。人殺しはよくない。あとはお父さんが何とかする」というものと同等のものです。

 

ちょっとだけ内容にふれましたが(ゴメンナサイ)
でもね。
私は思います。

 

現実にいそうにない人に、せめてマンガや映画のなかだけでも
「居て欲しい」って、思いませんか?
そんな願望がありませんか?

 

なぜかって?
そこに平成人が失ったもの、
私たちがおきざりにしてきたものが、あるからです。

 

私はたまにサザエさんを見ます。
見るとき、ボクが一番注目しているところ、
それはカツオの胸に「K」のマークがあるかどうか、です。
ここしか、みてません。

 

私はたまにドラえもんを見ます。
見るとき、ボクが一番注目しているところ、
それはジャイアンの胸に「J」のマークがあるかどうか、です。
逆に問いたい――
これよりほかに、見るとこ、ありますか?

 

カツオの胸にKのマークをみたとき、
ボクは、安心します。
サザエさんをみて、よかった――
楽しかった――

 

じつは、これが、伊坂作品が小気味イイ「正体」なんです。

 

伊坂幸太郎作品に、あらわれる登場人物は
「自分の着ている服の胸に、名前のイニシャルを入れているようなヤツら」
です。

 

だけど、それが小気味いいからです。

 

反対のことを考えてください。
もし、カツオの胸にナイキのあのマークがあったらどう思いますか?
もし、ジャイアンの胸に、アディダスのマークがあったら、どう思いますか?
テレビはもちろん、消すでしょうし、何だか悲しい気分になってしまいます。

 

悲しいどころか、世の中を絶望して、
私は、自殺してしまうかもしれません(笑)。

 

私は、実家が京都・祇園です。だから、舞子さんを日常的によくみかけました。あるとき、信号待ちをしている舞子さんが、ソデから携帯電話を取り出して、話をしはじめたのです。なんだか、幻滅しました。

 

私たちは無意識のうちに、他人には「そうあってほしい」と願っているのでしょう。
伊坂がいうように、まさに「イメージ」です。
人は人を「イメージ」としてしか、見ないのです。

 

無意識のうちに、
カツオの胸にKのマークを探してしまう人...
そして、Kのマークに安心感を覚える人...

 

そんな人は、ぜひ、この映画を見に行ってください。
そして、映画館でぜひ叫んで、ツッコンでください。
「そんなヤツおれへんやろ~!」


楽しいですよ。

★★★☆☆

ヤフーニュース
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/entertainment/movie/?1264833424

 

ノブヒロ



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